常磐線で茨城から宮城へ ~代行バスで帰宅困難区域を通過して~
先日常磐線で茨城から宮城へ行った。
時間がかかるルートであり、私は金曜日に仕事が終わった後に茨城を出発、その後富岡で一泊して宮城へ向かった。
現時点では、常磐線の富岡駅~浪江駅間が代行バス運行となっており、富岡駅が不通区間の南端なのである。
宿泊した富岡ホテル。新しいきれいなホテルであり、朝食バイキングもなかなか素敵。
富岡駅はきれいな朝焼けであった。
生生しい線量計もあり、一体これがどの程度人体に影響があるのかは私にはよくわからない。
分断されてしまった路線図。
富岡駅は、東日本大震災による津波で駅舎が流されてしまい、駅を移設して新築している。
バスは運転士と車掌の2人体制で運行される。バスの窓は開けないように、という注意が車掌より放送される。
バスが出発して5分程度走ると、帰宅困難区域に入る。
東京電力の建物があると思ったら、旧エネルギー館が東京電力廃炉資料館としてリニューアルされたようである。
帰宅困難区域の入り口付近
帰宅困難区域に入ると、バスの中の雰囲気が一変した感じがした。
ピリッとしたような、気分の悪い緊張感が走る。
これは精神的なものだけでないことに途中で気づいた。帰宅困難区域の中では、車が走り抜けられることを意図してか、信号が全て無効化されているのである。その結果、バスは常に走り続け、止まることはない。
エンジンの回転数も心なしか少し高めで、エンジンの呻きが一秒でもこの区域を早く脱出したいと言っているようであり、また運転士の気持ちの現れかもしれない。
ことごとく廃墟である。
ことごとく窓は破られ、日常が非日常となっている。
皮肉にも、現在でも人に優しいエネルギー原子力、という看板が立っていたりするのである。
あぁ、あの向こうに原発があったんだろうな・・・という高圧電線
帰宅困難区域を抜けると、バスの中も少しホッとした雰囲気に。
交差点でバスが久しぶりに停車。これだけで少し落ち着くのは、不思議なものである。
この街にも若者が住んでいて、未来に向けて羽ばたいていくのである。
不通区間の北端、浪江駅。
この先はいつつながるのだろうか。
いつこの3番線からいわき行きが走るのだろうか。
小田原城北高校の有志が製作した看板が設置されていた。
何があるかわからない。こういう情報は大事である。
線路は続くよどこまでも・・・