恋人の死
私の友人の恋人が亡くなったらしい。
友人とは中学校以来20年近い付き合いである。
高校時代の何気ない思い出について、何気なくlineしたところ、電話がかかってきて、恋人が亡くなったと聞いた
事故だったようである。
友人の私に対しては、普通にしゃべっているような感じではあったが、相当辛かっただろう。
何があるかわからない日々、毎日を大事に生きなければ・・・
NDロードスター 異音の続き
異音の件、ディーラーへ行ってみた。
結局、よくわからないというのが実際のところ。
寒い時のほうが音が大きい気がするが、運転席の耳元で鳴っていることから、助手席で聞いていても分かりづらいのも一つか。
そもそも幌車に乗りながら、細かな異音、共鳴を気にすること自体がおかしいのかもしれない。
異音というのは気になりだすと気になるものである。
意識というのは面白い。それまで意識しなければ全く聞こえない音が、聞こえ始めるのである。
とはいえ、これからも異音の件は引き続きなにかあれば記載します。
Apple MusicのFavorites mixにより紹介されたJohn Lewis Private Concert
Apple musicは使っていますか?
視聴履歴などに基づき、一週間に一度自分用のプレイリストを作ってくれるのである。
これは、おそらく同じような好みの事例から、suggestionしているのだろう。
このfavorites mixが、かなり良い曲を提案してくるから油断ならないのである。
例えば、私がハマってしまったのがJohn LewisのPrivate concertである。
このJohn Lewisというのは、Modern Jazz Quartetを結成した人である。
CDに収録された曲は至ってポリフォニー調で、パッと聞いたところではバッハのようである。
しかしながら、リズム感、和音がジャズ調で、新鮮な空気である。
Saint-Germain-Des-Presから始まり、Paris関係の曲が計4曲収録されている。
この寒い時期に、パリの朝を思い浮かべながら聞くと、雰囲気が出るものである。
このJohn Lewisは、バッハの曲も収録している。
おそらくその影響もあったのだろう。
ピアノジャズのファンは必聴のアルバムである。
情報とはなにか
情報、information、情報化社会・・・
この世の中は、情報にあふれるだけでなく、情報という言葉にも溢れている。
情報とは何なのだろうか。
例えばパソコン。エネルギーと言う観点で考えると、パソコンに入力されるエネルギーと、発しているエネルギーは同一である。つまり、パソコンに入力されるエネルギーは、消費される電力に等しく、発しているエネルギーとは熱、音、光の持つエネルギーである。
これらは当たり前だがプラスマイナスゼロであり、パソコンから得られる情報はエネルギーを持っていない。
つまり、パソコンとは電気エネルギーを熱・光・音というエネルギーに変換しているだけの装置といえる。
また、例えばご飯を食べるとき。
私の経験では、中国に行ってご飯を食べたときに感じたことである。
当時、ゴミ餃子が話題となり、また排水から作られた油があるとか、とにかく食事に対するイメージは悪かった。おそらく今もあまり大きくは変わっていないだろう。
口にするものに対し、最初はいちいち、重金属が入っているんじゃないか、ちゃんと野菜の農薬は落ちているのか・・・ということが気になり、美味しいごはんもちっともうまくない。
あるときに気づいた。勝手に想像して、勝手にまずく感じているだけなのではないかと。
そこからは、目の前にあるものに対して集中して、余計なことを考えずに食べるようにした。
すると、とても美味しいのである。
つまり、無駄な情報が、美味しいはずの食事をまずくしていたのである。
似たような事例はいくらでもある。
電車に乗って、ぽっかり空いてる席があり、ラッキーとおもって座ったのだが、実はその席はその直前まで、とても不潔そうな人が座っていた、など。
まさに、知らぬが仏。
情報というのは、そのもの自体の見方を完全に変えてしまうパワーを持っているのである。
差別と区別
差別と区別
差別とは、自分の力では変えることの出来ないことで人を区別すること、だと私は考えている。
自分の努力ではどうしようも無いことを理由に、なにかしら不利益を被ったときに、人はぶつけようの無い怒り、憤り、悲しみを覚える。
例えば、男性と女性。
お前は女だから、、、お前は男だから、、、というのは、これは差別とされるケースと区別とされるケースがある。
その言葉をかけられた人が、何かしら不利益を被ったと感じるケースにおいて、差別されたと言われることが多いのではないか。
いずれにせよ、自分の性別は自分の努力で変えることは出来ないため、これを理由に”区別”され”不利益を被る”と、非常に不愉快になるのである。
微妙な線なのは、学歴である。
これは、ある見方をすると、自分の努力で得たものであり、差別に値しないと考える人もいるかもしれない。
ただ、私は学歴に関しても、現時点の自分には変えることができないものであるため、これを理由に不利益を被るケースは、差別だと感じる人が多いと考える。
学歴というのは、社会において表だって区別されることはないとおそらく多くの人が考えているが、実際には就職活動の際、もしかしたら昇進にも関係しているかもしれない。
これは、集団と個人という違いもあるかもしれない。
一般論として、学歴の高い集団に寄せられる期待値は、そうでない集団に寄せられる期待値よりも高い事が考えられる。
純粋に能力が秀でているケースだけでなく、向上心を持って努力をする人の割合が高いケースもあり、これらが複合的に、総合的に作用しあって、より高いパフォーマンスを発揮することが考えられる。
しかしながら、個人にこれを当てはめた場合には、100%の結果では現れない。
当然ながらそこには、大数の法則(とまでは言わないかもしれないが)による平均化が作用しており、個別のケースでは必ずしも当てはまらない。
だが、実際に目の前にするのは常に個別のケースであり、結果的に学歴差別と周りが感じることは、比較的あるのかもしれない。
差別と区別の違いを考えると、日々の生活の一端が見えてくるかもしれない。
効率化とは
効率化とはなにか。
routine workの自動化?
コンピューターを用いた仕事が当たり前の世の中、いかにしてroutine workを自動化するか、というのは効率化の大きな分かれ目である。
どうしても、自動化を行うためのプログラミング自体を面倒なこととして避ける事が多いと言える。
しかしながら、何が自動化できるのか、ということを考え、それに対してマクロを組むなり、何かしらの方法で自動化を行うことで、やがてそのroutine workの積み重ねのほうが大きくなる。
断捨離、働き方改革、という考えでは、どちらかというと”集中してやる”、”無駄な仕事をやめる”、という方向へ行きがちだが、そもそも日々の仕事に対してどのように人間の作業量を減らすか、ということも重要なことであると考えられる。