木は森に隠せ

自分の考えをアウトプットする。

差別と区別

差別と区別

 

差別とは、自分の力では変えることの出来ないことで人を区別すること、だと私は考えている。

自分の努力ではどうしようも無いことを理由に、なにかしら不利益を被ったときに、人はぶつけようの無い怒り、憤り、悲しみを覚える。

例えば、男性と女性。

お前は女だから、、、お前は男だから、、、というのは、これは差別とされるケースと区別とされるケースがある。

その言葉をかけられた人が、何かしら不利益を被ったと感じるケースにおいて、差別されたと言われることが多いのではないか。

いずれにせよ、自分の性別は自分の努力で変えることは出来ないため、これを理由に”区別”され”不利益を被る”と、非常に不愉快になるのである。

 

微妙な線なのは、学歴である。

これは、ある見方をすると、自分の努力で得たものであり、差別に値しないと考える人もいるかもしれない。

ただ、私は学歴に関しても、現時点の自分には変えることができないものであるため、これを理由に不利益を被るケースは、差別だと感じる人が多いと考える。

学歴というのは、社会において表だって区別されることはないとおそらく多くの人が考えているが、実際には就職活動の際、もしかしたら昇進にも関係しているかもしれない。

これは、集団と個人という違いもあるかもしれない。

一般論として、学歴の高い集団に寄せられる期待値は、そうでない集団に寄せられる期待値よりも高い事が考えられる。

純粋に能力が秀でているケースだけでなく、向上心を持って努力をする人の割合が高いケースもあり、これらが複合的に、総合的に作用しあって、より高いパフォーマンスを発揮することが考えられる。

しかしながら、個人にこれを当てはめた場合には、100%の結果では現れない。

当然ながらそこには、大数の法則(とまでは言わないかもしれないが)による平均化が作用しており、個別のケースでは必ずしも当てはまらない。

だが、実際に目の前にするのは常に個別のケースであり、結果的に学歴差別と周りが感じることは、比較的あるのかもしれない。

 

差別と区別の違いを考えると、日々の生活の一端が見えてくるかもしれない。