木は森に隠せ

自分の考えをアウトプットする。

友達とは

友達とはなんだろうか。

私は学生時代、友達とはなにかについて真剣に悩んだ。

 

大学生にはよくあることかもしれないが、顔見知りの”知人”というのはたくさんいた。

学校ですれ違えば、挨拶はするし他愛もない会話はする。

でも二人で遊んだりするわけでもない。

 

こういう関係で、よくある会話として

”〇〇のノート持ってる?”

が挙げられる。

この会話を繰り返すのち、私は友達と知人を分けるなにかに気づいた。

 

”友達には利害関係がない”

 

これである。ノートの受け渡しの例で言えば、自分が苦労して作ったノートを、渡したくないと思う人は、友達ではない。

(私のココロの狭さに起因する問題も多少に含まれている可能性もあるが、あくまで例であることに留意)

ただ、友達にはなんの心のひっかかりもなく、渡すことができるのだ。

 

利害関係のない関係性を築く、ということは、社会人になるとハードルが増す。

仕事というのは常に利害関係の中で動いており、同僚、上司、後輩、部下、取引先など、多少なりともの利害関係があるものである。

社会人になると友達を作るが難しくなる、ということを言語化すると、利害関係のない人と継続的な関係を作ることが困難になることであると私は考える。

 

そして、一度友人になったとしても、その関係に利害関係が生まれた瞬間に、私は友達ではなくなると思う。

よくあるのが、マルチ商法の勧誘、宗教の勧誘などである。

これは利害関係の最たるものであり、昔の友達からこれをされると、一気に友達というステータスを失ってしまう。

同じように、金の貸し借りもあるかもしれない。

 

身の回りの人の関係性についてふと疑問に思ったとき、この整理が役に立つときがあるかもしれない。